倒錯思索ステイルメイト

愚問愚答観察。

鉛筆のオリジン

京都を秋めかせる涼風は想像以上に身を突き刺す。直近の話だと6年間追いかけてきた推しの結婚報告という鋭すぎる秋風に心を貫かれた友達がいるけども、強く生きてほしい。

 

さて今回は諸々の執筆活動に対する心構え的なアレを書いてみる。

いずれここにも小説まがいのものを投げることになるだろうということで、書き手としての衛生管理のために鉛筆の芯のさらに内奥に潜むことを少しだけ書きだしておきたいのだ。

 

小説を読むにあたって【書き手の性質】を探しながら読んでいる。そもそもある読み物を手に取る時点でその作品に対し一定以上の関心を寄せているわけで、そんな作品を書く人が一体どんな人間なのかを知りたくなるのは自然じゃなかろうか。また自分が小説を書くことがあるので書き手側の思考や目標を汲み取ろうという一種の向上心によってもこの探求は動機づけられる。

先に断っておくが、二次以上の創作において規定済みのキャラクターへの作者の投影は最小化されるべきという認識をその作者たちが持っていると仮定しているので書き手の性質を探すのは一次(純粋な一次創作などもはやありえないのでできるだけ低次であることを意識されたもの、という意味で1.x次の)創作に限る。反対に、一次創作であれば書き手の性質というのは極めて単純に登場人物に現れる。複数の作品を書いているのならばその数が多いほど共通項を浮き彫りにさせられる。面白いのは、作品内の登場人物全員が作者の息を吹きかけられているということで、物語の上でその役割が分かれていようが結局のところ全てのキャラクターに作者の影が映っている。そして物語において作者の分身たちが作者の原点とも言えるだろう風景を作り出す瞬間が現れることもある。会話、行動、思考パターン、じわじわと作者の要素が浮き出てくる感覚を味わっていると【小説】という自己表現形態の可能性に期待してしまう。