倒錯思索ステイルメイト

愚問愚答観察。

月夜見のオリジン

堕ちる太陽を嘲笑うように暗くなりたての秋の月は紅を衒う。断罪の及ばぬ遥か上空の安全地帯から、あの球体はこの球体を肴に酒を飲んでいる。

夜が支配する時間は夜そのものの時間より長い。日が昇らぬ間は問答無用の夜だが、人が起きるまでの時間もまた夜と言えるからだ。太陽が空の山を登り終えても尚起きない人間の存在が夜というものを拡張する。そんなわけで夜と睡眠の間に切っても切れない縁があることに疑問を持つものはいまい*1。さて、三大欲求に睡眠が挙げられるほどなのだから生まれてから今に至るまでその夜と睡眠に遊興を見出してきた者も少なくはないだろう。かくいう私もその一人だ。陽を見たことのない羊水遊泳の頃は常に夜であり常に眠っていたのだからその原初を忘れまいと生後1,2年のうちは腹を空かせて泣いている暇があったら眠り親を困らせ、幼稚園に入れば昼寝の王として君臨し同期の呆れを買い、小学校に入れば掃除時間に眠り社会性を捨てた。一日に平気で10時間、12時間と寝続けた少年の睡眠能力は「寝る子は育つ」という格言の証明サンプルを与えるには十分であった。

眠りは普遍的幸福の正体の一つだ。寝ている間だけは思考の鎖という不毛な枷から解かれるという点だけでも睡眠は極めて建設的な行為だと言える。浅い眠りは夢を見させてくれ、深い眠りは目覚めを良くしてくれる。金なりと言われることはあれど金そのものではない【時間】を投資するだけで益ばかりをもたらすこの活動に、魅入られるなと言う方が難しい話だ。

 

だからこそ、寝られないということは度し難い災厄である。月が眠れない人を好む理由もそこにある。

*1:昼夜逆転という言葉の意味を考えれば分かるだろうが、縁があるとする方が【道理】。例外は例外らしく弁えを知れ。